TEMU

おりヅル千舞

ほぼ100均の材料で何かしら作ってます。

周りが全て敵に見えていた。

こんにちは〜

 

前職での最終的な感覚をぐるぐる味わって辛くなっていたので、その時の気持ちや感覚を書いていきます。

 

題の通り、私は最終的には会社の人間全てが敵に見えていました。

自分は一人で戦うしかない、と自分で自分を鼓舞して仕事に臨んでいました。

周りは敵、助けては貰えない、頼れない、一人で何とかするしかない。

そんな考えばかりで、常にイライラしていました。

イライラを人に当てない為に、休憩時間は極力一人になる様にもしていました。

 

最終的には敵として、攻撃して、攻撃し返され、みたいな感じで人間関係がもうどうにもならなくなってしまったんですよね。

修復しようにも、挨拶をするくらいの対策しか思いつかなくて、徹底してやるようにしましたが、無視が助長されるだけで、更に相手から攻撃を受けるという悪循環でした。

頼って助けを求めようにも、周り全てが敵に見えていましたからね、求めようもなく、そもそも入って直ぐに自分で何とかして立ち回れと言われていましたしね、もう頼れない、自分で何とかするしかないって、自分一人で奮闘していました。

 

何故敵に見えてしまうのか。

それは、自分に自信が無いから、常に気を張って、いつ攻撃を受けても大丈夫なように、常に臨戦体勢だったように感じます。

何をされるか分からない恐怖。

 

そもそもが、一人の方が距離感近すぎて、扱いに困っていたのを、遠慮なくずかずか侵入され、べたべた触られ、背後から突然肩を思いっきり掴まれるなど、度々されて、いつ来るか分からない恐怖で、常に気を張っている必要がありました。車に居ても鍵をかけていなかった時、無断で急に車内に侵入された事もあり、恐怖が強かったです。周りは見て見ぬ振りだったし、なんなら仲がいいと思っていたと、辞める時分にいわれ、呆気にとられました。

私のあの恐怖との戦いは何だったのだろう。

目の前で壁もなく溶接作業される恐怖、細かい作業なのにも関わらず電気の光源が不十分で暗い社内、風通しの悪さ、空気の悪さを感じていました。

そして、最後の最後に私の口からポロッと出た言葉は、もう来なくて良いんだという安堵感とともに涙が溢れての『さみしかったのかな…』でした。

 

自分一人で頑張り過ぎて、心が疲弊していたんだなって、そう思います。

自分がキャパオーバーしていて他人を許容出来なくなっていた。

不安で怖くて仕方なかった。

 

安心安全とは程遠い環境でした。

私が自分に自信を持って、周りを頼って、助けを求めていたら、結果は違かったのですかね?

 

それは分かりませんが、敵だと思ってしまう時、それは自分の心が弱っているサインなのではないかなと、今はそう思います。

心が弱っているって自覚できれば、心を守る行動が出来るのではないかと、今は考えられます。

冷静さを取り戻す、心が不安定な時は決定しない、敵だと思う事は別に悪いことではない。

そして、周りが全員敵だと感じても、誰かしらは味方が居ます。家族だったり、友達だったり、その場、その時は近くに居なくとも、自分の味方は誰かしらは居るし、一人では決してないんです。

その事だけわかっているだけでも、私は一人ではないんだなって、自分を肯定できる気がしてきませんか?

敵に見える時は立ち止まって、感情が落ち着くのを待ってみる。それでも遅くはないのかなって、今は思います。

積もり積もって追い詰められて、自分でも自分を追い込んでしまって、どうにもならないと思っても、味方はちゃんと、どんな人にも居ます。

そんな存在に気付いて安心して、泣きたいなら泣いてしまったっていいんです。

今まで、自分で頑張り過ぎていた事を降ろして、楽になっていってくださいね。

敵に見える相手への不満や怒りは、自分が気付かない間に自分自身へ課していた言葉や事柄なのかもしれません。

自分にもっと優しくしていいんです。

 

何だか纏まらないので以上!←

自己懺悔的な所がありますね_:(´ཀ`」 ∠):

人と比べないで、自分らしくいたい。